vol.01ワークショップ「知覚の旅人」レポート

text/新村絵美里

「パフォーマンスをみた感動を言葉にして伝えたい」
そう思ったことがあるだろうか。

言葉のない作品を音声で楽しんでもらうための実験的なワークショップが、2023年1月22日(日)、ひんやりとした冬の午後、沼津ラクーンの6階(静岡県沼津市)でおこなわれた。
ワークショップ形式での音声ガイドへのアプローチは、スケラボにとって初めての試みとなる。音声ガイド付きの作品制作への取り組みは、2020年の12月に遡る。
現代サーカスカンパニーながめくらしつとスケラボ(当時 Scale Laboratory)による連続公演「…の手触り」~こころの手触り~は、沼津ラクーン8階での有観客公演と、ノンバーバル(ことばのない)の“オリジナル版”、“音声ガイド版”の2つの映像作品が制作・公開された。音声ガイド版には、その場に居合わせた体験をイメージしたことばがつけられ、「こころの手触りとは一体なんだろう」という問いと共に、目の見えない、見えるに関わらず鑑賞する人に自由に楽しんでもらえるような作品となっている。

参考:https://theatreforall.net/movie/nagamekurasitsu/(音声ガイド版)


今回のワークショップでは、視覚障害を持つ方を交え、初めて出会う人たちが一緒に生のパフォーマンスを鑑賞し、音声ガイドを制作するところにまで挑戦した。一体どんな時間になるのだろう。緊張とわくわくが詰まった記念すべき第1回目の実験は、およそ3時間に及ぶ充実した時間となった。

ここでは、参加した13名の旅人とその旅の記録を残していきたいと思う。

当日のセッティング 床に大小2枚の円形の茶色いカーペットが横に並べて敷かれている。
当日のセッティング 床に大小2枚の円形の茶色いカーペットが横に並べて敷かれている。

「知覚の旅人」の流れ

ワークショップ「知覚の旅人」には、高校生から70代までの13名が集まった。そのうち2名は、視覚障害を持つ方と同行者の方(晴眼者)で、実際に言葉を紡ぎガイドを作成するのは11名の参加者である。11名は、ランダムでAグループ(5名)とBグループ(6名)の2グループに分けられ、それぞれに役割が与えられる。ワーク
ショップの後半では役割を逆転し、最終的には個人作業で音声ガイドを制作するという流れだ。

ワークショップの進行

① Aグループだけがパフォーマンス(1)をみて、Bグループに説明する
② Bグループだけがパフォーマンス(2)をみて、Aグループに説明する
③ 全員でパフォーマンス(3)をみて、音声ガイドを作成する

・ パフォーマンス(1)~(3)は、すべて約5分間の別作品
・ ①、②では、説明を聞いた後に全員でパフォーマンス(1)/(2)の録画を観る
・ パフォーマーへの質問はできない

まずAグループだけがパフォーマンス(1)を鑑賞し、Bグループはみない。みていないBグループと視覚障害を持つ方にむけてAグループが今みたパフォーマンスについて説明をする。見ていない・見えない人たちからの質問にAグループが答え、一通りのやりとりが終わったら、全員でパフォーマンス(1)の映像をみる。映像をみた感想をBグループに話してもらう。
その後はAグループとBグループの役割を逆転し、パフォーマンス(2)について同じ作業をおこなう。参加者は、自分のみえたものや感じたことだけではなく他の人の言葉を受け取りながら、最後に全員でパフォーマンス(3)をみて、それを見ていない人と見えない人にも伝えるための音声ガイドをつくっていく。

ことばにする練習

ワークショップは、ファシリテーター(旅の案内人のような役割)からの合図で自己紹介からはじまった。「自分の名前だけでなく『今いるこの空間の説明』を一人ずつ言ってみましょう。ただし、前の人が言ったことは言わないでください。」というお題付きの自己紹介には、普段、視覚で得ている情報を言葉にすることに慣れる練習の意図が込められていた。
参加者は「(昔、百貨店だったときを知っているので)寂しい場所に感じる」「何かの撮影ができそう」「床が灰色でコンクリートなのでひんやりした印象」「寂しいけれど窓があるためとても明るい」など各々説明を交えながら自己紹介をした。皆、まだ緊張している様子にみえた。

緊張気味の自己紹介(モニター前方に立っているのがファシリーテーター)
緊張気味の自己紹介(モニター前方に立っているのがファシリテーター)

自己紹介を終え、いよいよワークショップは本編に突入する。

「赤ちゃんがいました」

Aグループだけがパフォーマンス(1)をみるため、Bグループは別室へ移動をした。視覚障害のある方(以降Hさん)とその同行者の方は、一緒にパフォーマンス(1)を鑑賞した。
パフォーマンス(1)は、人形使いが1人と人形がひとつ出てくる。パフォーマンス空間には大小2つの正円のカーペットが敷かれていて、正面から見て右側の小さい方のカーペットの上でおこなわれる。

パフォーマンス(1):AグループとHさんたちが鑑賞
パフォーマンス(1):AグループとHさんたちが鑑賞

Aグループは、各々メモを取るなどしてパフォーマンス(1)を見終える。Bグループが部屋に戻り、まずはファシリテーターから質問が投げかけられた。

特に、一番最初のやりとりが印象的だった。

Aグループの人(以下、A):茶色いまあるいカーペットの上で…赤い目の赤ちゃんと女性がいました…そして…
A(別の人):あの、赤ちゃんはいないと思います、人形です!
A:あっ!赤ちゃんは、人形です!

最初に発言をした人は、まるで人間の赤ちゃんのようにみえた人形を「赤ちゃん」と説明をした。もちろん、人間の赤ちゃん(しかも目が赤い!)が作品に登場したわけではないので情報としては紛らわしくなってしまうのだが、まだ見たことのない人や見えない人にとっては、「赤ちゃん」と言い切れるほどの「人形」とはどんなモノなんだろう?と興味が湧くきっかけになったはずである。
また、人形の大きさを説明する際に「このくらいでした(手を広げるジェスチャー)」「いやいや、見えない人にもわかるようにお願いします!」と言うやりとりもあった。これまで、自然と視覚に頼って得ていた情報を言葉にすることの難しさを実感するやりとりだった。

人形は外に出たかったのか

Bグループからも質問をしてもらうよう促した。最初は「何色の人形?」「人形はどんな動きをしていましたか?」「パフォーマンスの山場はあった?」など、人形の見た目やパフォーマンスの流れなどの“目で見えること(視覚で得られる情報)” に関する質問が続いた。Aグループは「人形は布でできている」「色は肌色で腰だけ白いのでおむつを履いているみたいに見える」「パフォーマンスの始まりは人形が寝っ転がっているような感じで、だんだん歩いていく」「人形はカーペットの外側には出ない」「次第に動きが活発になりパフォーマンスは山場を迎える」など、質問になるべく詳細に答えようとし、それらの人形の動きは、人形使いによってどのように操作されていたのかも、自身のメモや記憶を頼りに説明した。
説明を続けているうちに、「人形は、最初眠そうだった」「飛び跳ねているとき人形は楽しそうに見えた」など、人形の“感情”を想像するような説明がだんだんと出てくるようになった。それをきっかけに、Bグループからの質問の質感も変化する。“目で見えること”の先への興味が(参加者は気づいていないかもしれないけれど)広がっていったのは、このあたりからだった。

Bグループの人(以下、B):「人形はカーペットの外側には出ない」とのことでしたが、カーペットからは「出ちゃいけない」みたいな感じだったんですか?

Aグループのうちのひとりがこのように答えた。

A:カーペットの中が人形の世界のようなイメージで…世界というか、部屋の中のような…。観客がその中を覗き見をしているような感じが、私はした。カーペットから出てしまうと、その世界が広がってしまうように思った。

Bグループは、Aグループから得た情報を紡ぎパフォーマンス(1)を想像する中で、「人形がカーペットの外側へ出ない」という情報から「どうして出なかったんだろう/出られなかったんだろう」という疑問が浮かんだのだろう。
ここで、視覚障害者のHさんからも質問をしてもらうようファシリテーターから提案があった。Hさんは、ここまでのAグループの説明を聞きいくつか知りたいことがあるとのことだが、まずは「(カーペットの)外に出ない」ことに関して先程の質問に続くように聞いた。

Hさん:人形がカーペットの外に「出たい」というような仕草はありましたか? (Aグループの人たちは口々に「なかった」と答えた。Hさんは質問を続け、)

Hさん:では、その(カーペットの)中が人形の世界で、人形は外の世界に興味もなさそうだし、外の世界を気に掛ける“そぶり”も無いってことですか?

これに対しても、Aグループの人たちは「なかった」とすぐに答えた。
人形がカーペットの外に出ない。きっとこれは作品の中で何か意味を持っているのでないか。そう想像したときに「出たくても出られない」のと「出たそうでもない」のとでは作品の雰囲気は変わってくる。そもそも(「モノ」という意味で)心を持たない人形がどうしたかったかを想像するのは、おそらく人形使いが動かしていることでその人形の仕草や視線から私たちが想像していることにすぎない。それでも「人形は外に出たかったのか」という疑問は、説明を聞く見ていない人・見えない人に自然と浮かび、心の中にやんわりと残ったままでいたことだろう。

ここから出たかったのか、出られなかったのか

Hさんからの質問は「赤ちゃんに見える人形の見た目」にも迫る。

Hさん:人形が赤ちゃんに見えると皆さんがおしゃってるのは、おむつをしているように見えるからですか? 大きさがそうだからですか?

これに対してAグループの人たちは「どちらもです」と答え、さらに、人形の体の比率(頭のサイズ感)などの特徴を伝えた。Aグループの多くの人が「赤ちゃんみたいに見える人形」と形容していたこの人形。Hさんはそれを聞いて「この人形が赤ちゃんみたいに見えるのは、どこに理由があるのだろう?」と思ったはずだった。

寝たり歩いたりするこの赤ちゃんのような人形は、カーペットの外には出ないしおそらく出ようともしていない。一体どんなパフォーマンスなんだろう…言葉だけで想像したパフォーマンス(1)を、ついに全員でみることになった。

「今、自分が知りたいと思ったこと」を伝えるには

さきほどAグループだけがみたパフォーマンス(1)の録画を全員でみた。この録画は、撮影してすぐにモニターでみられるよう準備されていた。

パフォーマンス(1)を全員でみる (撮影 小島一晃)
パフォーマンス(1)長井望美

映像を見た後、はじめてパフォーマンス(1)をみたBグループから「実際にみてどうだったか」を聞いた。

B:人形は最後また、寝てしまうんですね。想定外でした。
B:説明を聞いて想像していたより、横になっている時間が長かったです。
B:(人形の手足は)ぬいぐるみみたいなものを想像していたけど、関節がしっかりと表現されていて、2~3歳くらいのこどものように見えた。
B:起承転結や、何を表現している作品なのかが(言葉だけでは)十分に想像できなかったけれど、映像をみるとストーリーがある作品なんだと分かった。
B:私は、人形は赤ん坊ではなくて、人生に絶望した人間のように見えた。カーペットの中から出たくても出られない葛藤があるように思えた。(人形の)感情的な部分をもう少し知りたかった。

同じ説明を聞き、同じ映像を見た人たちでも感じることは様々で、作品から受けた印象もまた当たり前だが人それぞれであった。Bグループは、Aグループが言葉を選んで説明したときと比べると、より自由な言葉で感想を話していた。
「では、どのようなことを言葉にして伝えれば『今自分が知りたいと思ったこと』を相手に伝えられるかを考えながら、パフォーマンス(2)をみてみましょう」と、ファシリテーターが、次の作業へ案内する。

パフォーマンス(2)の鑑賞へ移った。

“赤い衣装” で舞う女性を想う

先ほどと役割を入れ替え、Bグループだけがパフォーマンス(1)をみるために、Aグループは別室へ移動をした。Hさんは今回も、同行者の方と一緒にパフォーマンス(2)を鑑賞した。
パフォーマンス(2)には、ダンサーの女性がひとり出てくる。大小2つの正円のカーペットの、正面から見て左側の大きい方のカーペットの上でパフォーマンスがおこなわれ、小さい方のカーペットの上には人形がひとつ置かれている。

パフォーマンス(2):BグループとHさんたちが鑑賞

パフォーマンス(2)をみたBグループに向けて、ファシリテーターから「この作品で自分がいいなと思ったところを意識して答えてみてください。」と、投げかけられた。
Aグループの人たちが戻り、まずBグループへの最初の質問は、ファシリテーターからの「パフォーマンスはどんなふうに始まりましたか?」というものだった。これに対してBグループのうちのひとりが、パフォーマンス(2)をなぞるように全体の流れを説明をした。

B:まず、カーペットがふたつあり、ひとつは先ほどの人形の方で、もうひとつの大きい方のカーペットの上で、赤い衣装でトウシューズを履いた女性が踊っていた。踊っていた後に窓を開けるような仕草があり、現実逃避をしているかのようにみえた。でも結局、カーペットの中にいて、最後は寝た。

パフォーマンス(1)でのやりとりがあったからか、1人目から、視覚情報だけでなく、自分の感じたこと(現実逃避など)を交えた説明だった。
その後、Aグループからの質問も活発で「(ダンサーは)最初も寝ていたの?」「ダンサーだけでなく、人形もそこにあったの?」「人形は動いたの?」などを聞き、Bグループもそれに対し、「ダンサーは最初は横たわっていた」「人形はパフォーマンス(1)と同じところにいて動かなかった」など、丁寧に説明した。

ここで、Hさんも質問をする。

Hさん:“赤い衣装”は、例えば「身体にぴったりした衣装」なのか「ひらひらした衣装」なのか、どういった衣装ですか?
(ひらひらした衣装です、とBグループの人が答えたあと、)
Hさん:ひらひらした衣装だと、踊るときに布もひらひらするんですよね。例えば、袖が長いとか、足元まで赤いとか…(どうですか?)

Bグループの人は、少し周りの人と確認しながら「足元まで赤いね…スカートです」と答える。しかし、Bグループの別の人が「スカートじゃなくて、ガウチョパンツみたいなものだった」と言った。「コートみたいな感じ」と言った人もいた。たしかに、同じ赤い衣装でも素材や肌に対する面積で、踊りの印象は違ってくる。どのように踊っていたかも知りたいけれど、まずはどんな衣装で踊っていたのか、「赤」という印象的な衣装のことを知りたいと思うことは自然なことだったと思う。そして、同じものを見ていても衣装の説明は人それぞれであった。
その後、ファシリテーターから「赤い衣装は、作品で何かを表しているように感じましたか?」という質問が投げかけられる。
Bグループのひとりは「パフォーマンス(2)は、音楽の影響もあり全体的に暗い印象の空気感で、それに対して衣装が赤く鮮やかで、色彩の対比が印象的だった。感情の激しさや葛藤も、赤い色から感じとれた。」と答えた。

衣装ひとつとっても、知りたい情報も伝えたい情報も多かった。この作品の中で、衣装の形状や色がどんな意味を持つのかは、そこに演出上の意図の有無があるかどうかは別として、それを鑑賞した人それぞれに委ねられる。情熱や葛藤のあらわれか、内面の美しさの象徴か…そこに答えはない。ただ、見ていない人と見えない人がそれを自由に想像するには、「赤い衣装」以上に、もう少し具体的な言葉が必要なのかもしれない。
目でみえたことの中で何を選び、どこまで伝えるか。音声ガイドという限られた時間の中で、伝えられる言葉の数や時間は多くはない。衣装だけでなく、踊り、仕草、表情…伝えたい情報の多さとそれを言葉にする難しさを感じさせられた。

ダンサーの赤い衣装(撮影 小島一晃)

心は「何を見て」伝わってきたのか

赤い衣装から感情の激しさや葛藤が感じられた、というBグループの話を受け、Aグループのひとりが、少し言葉に迷いながら質問を投げかけた。ダンサーの「感情」へ興味が移行する。

A:(パフォーマンスは)心情的に内側に注目するような…(感じに見えましたか?)

この質問に答えようとしたBグループのひとりは、「全部私の主観になってしまうのですが…」と言ったので、すかさずファシリテーターは「全部主観で答えてください」とフォローした。その人は感じたことを話した。

B:(ダンサーは)最初、寝ているところから起き上がって、最後もまた横になって終わる。もしかしたら本当はずっと眠っているんだけど、彼女の中の「本当はこうしたいのに」というようなものが踊りの激しさで表現されているのでは、と思った。
途中で窓を開ける様子は、パントマイムのような動きで表現されているのだけど、パフォーマンスの最初ではそういった「外の世界を感じるような(カーペットの円にそって壁を表現する)動き」はなかった。途中から壁を表現する動きや、外へ出ようするような動き、壁にぶつかるような動きがあったけど、でも、結局出られない…終わりは絶望のような感じです。

Bグループの別の人も、これに続いて話した。

B:カーペットの中が「自分の内側」で、最初の横たわった状態では「希望」を感じているように私には見えた。清々しく伸びをしたり、呼吸が深まる感じがあって、その後だんだんと身体をダイナミックに動かすようになり、立ち上がる。「(自分の)内側」へ向いていた感情が「外側」へ向き、最初に感じていた希望は、躊躇や葛藤に変わるような感じがした。
パフォーマンスの最後は、また自分(の内側)に帰ってくるような感じで、私には、絶望ではなく非常にフラットな感じに見えた。

Bグループのふたりの説明の後、Aグループのひとりが質問をした。

A:ダンサーの“顔”って、場面ごとにわかりやすく苦しんだり、清々しい表情をしたりしていたんですか?

これに対してBグループは、「顔の表情というよりは、“踊りそのもの”がそう感じさせる」と答えた。他のBグループの人もそれに同意するように頷いた。

だとしたら…と、Aグループの別の人が質問した。

A:(絶望や葛藤などを感じるとあったが)動きは、激しく狂った感じなのか? それとも美しい雰囲気なのか?(どんな動きで感じたのか)

それに対し、「狂気の一歩手前みたいな(踊り)」と答えて、Bグループは少し笑った。
狂気を感じるような踊りだったのかは、見た人それぞれの主観に基づくものではあるが、動きが激しい感じがしたことは伝わってきた。ここでさらに大事だと思ったのは、「様々な心の動きを感じるその『踊り』は、いったいどんなものなのか」を言葉で伝える必要があったということだと思う。例えば、手先やつま先の動き、どんなふうに脚を運んだか、ふんわり動かしたのか、固い動きだったのか…「赤い衣装で踊っている」ということを、もう少し具体的に説明することで、見ていない人・見えない人がダンサーの心の機微や感情の動きを想像することができたのかもしれない。
Aグループからのこれら二つの質問は、Bグループが各々感じたダンサーの心が、どこからそう感じ取れたのかを探しているような質問だった。
こういった話し合いができたのも、「全部私の主観になってしまうのですが…」と話してくれたことがきっかけだったと思う。

言葉で想像したものと実際にみた作品の差の縮まり

様々な説明を終え、全員でパフォーマンス(2)の録画をみた。

パフォーマンス(2)及川紗都

パフォーマンス(1)の時と同じように、今度は映像をみたAグループから「実際に観てどうだったか」を聞いた。

A:葛藤じゃなくて、何かから逃げているように見えた。
A:人形に近い動きをするのかなと思ったら、パントマイムやバレエが混じったような動きで、想像していたのと違った。
A:言葉で聞いて想像したものと、映像でみたものがわりと近かった。人間にとってカーペットの中が自分の知っている世界で、扉を開けて外の世界を知り、(パフォーマンスからは)それによる人間の心の動きを感じた。
A:言葉を聞いた上で想像したものと見たものを比べると、そんなに違いはなかった。最初にパフォーマンス(1)を見たというのもあるけれど、人形にはできない指や手足の末端までの流動的な動きが人間にはあったので、(人形よりも人間の方が)より感情が自分の中で想像しやすかった。

パフォーマンス(1)のときよりも、言葉で説明を聞いて想像していたものと実際の作品に大きな違いがなかった人が多くいた。これは、登場人物が人間だから、見たことのない人形を想像するよりもしやすかったという可能性もあるが、言葉にして説明する側も、言葉を聞いて想像する側も、どちらの役目も経験したからこその成果とも言える。そして、想像していたものと実際にみたものとの大きな違いはなかったとしても、やはり、作品から感じ取れる人間の心の動きや印象は、みた人それぞれだった。
またこのとき、視覚障害を持つHさんが「右のカーペットと左のカーペットが重なっているのではなく、離れて置いてある」ということを知る。Hさんからのその発言により「大きさや配置も丁寧に伝えたほうがいいかもね」と、参加者は「何をどこまで説明するのがいいか」、この後のパフォーマンス(3)と音声ガイド作成に向けて、う~んと考える時間となった。

なにを選んで「ことば」にするか

パフォーマンス(3)は、パフォーマンス(1)とパフォーマンス(2)で出てきた人形使いと人形、ダンサーが出てくる。カーペットの上でのみパフォーマンスが行われた(1)(2)に対し、(3)では、人形も人間もカーペットの外の世界へと足を運ぶ。そして、ふたりは出会い、関わり、別れ、また元の世界へ戻っていく…。
これについてはぜひ、実際のパフォーマンス動画をみていただきたい。二人の関わりがとてもかわいらしく美しい素晴らしい作品である。

パフォーマンス(3)長井望美&及川紗都
パフォーマンス(3):全員で鑑賞

パフォーマンス(3)をみた後は、話し合いの場は設けずに、そのまま個人作業で、先程のパフォーマンス(3)の録画をその場で共有し、実際に流しながら音声ガイドをつくっていった。
パフォーマンスのはじまりからおわりまでの限られた時間の中に、どんなことを選び、ことばを紡ぐのか。「知覚の旅人」たちの一番の大仕事の時間である。

Hさんとの対話

音声ガイド制作の時間を活用し、Hさんとパフォーマーがここではじめて言葉を交わした。そして、記録の書き手からも今日の感想を聞かせていただくこととなった。
Hさんは、パフォーマーの衣装を直接触ったり、人形の操作方法について人形使いの長井望美さんから聞いたりした。長井さんは、Hさんの身体を実際に人形に見立て、ふたつの手でどうやって人形のからだや顔、脚などを動かすのか、重心の移動についてなどを織り交ぜながら話す。これを聞いたHさんは「(人間が)歩くときと共通する部分がありますね!」と驚きがあったようだった。

Hさんに許可を取り身体に触れながら人形の操作方法を伝える長井さん

そして、ダンサーの衣装を実際に触ったHさんは「思ったより固い素材です
ね!」と驚いた。Bグループの説明の中では「スカート」「コート」など様々な言葉で説明されたが、実際には厚手の綿のぽってりとしたシルエットのワンピースの中に、ひらひらした素材のワイドパンツを履いている。(この素材が、ダンサーが足をあげたり、クルクルと回ることで、ひらりと舞う。)Hさんは、ワンピースを触って驚いた後にワイドパンツを触って「ひらひら」を感じて納得しているようだった。
記録の書き手からもHさんに感想を聞いた。実はパフォーマンスを鑑賞する際、同行者の方がHさんに説明をしながらみている場面があった。しかし、それはパフォーマンス(1)のときだけで、(2)のときは同行者の方の意向で説明はされなかったらしい。そのためHさんは、より何も知らない状態でパフォーマンス(2)の説明を聞き想像していたようだった。そこで、Hさんは話す。

Hさん:隣ではじめてみたものを説明するのは技術もいるし、限界もある。だから、事前にそれをみて言葉をつけるのだとしたら、例えば…同じ「動かす」でも、ピシって動かすのと、ゆっくりふわって動かすのと印象は変わってくるので、「どう動いたのか」という具体的な動きが言葉でわかったら、楽しいだろうなと思った。
これは私の考え方なので人それぞれだけど、「楽しそうにみえる」「しかたなさそうに動いてる」「葛藤してる」「ハイになってる」…そういったこと(作品の印象や登場人物の感情)は、できれば “自分で” まずは感じたい。
そして、パフォーマンスを見た人それぞれ感じ方が違うように、視覚障害を持つ人も、同じ音声ガイドを聞いても感じ方は違いますし、もちろん、どんな音声ガイドがいいのかも違います。

どんな音声ガイドができるか楽しみですね!というとHさんは「はい!」とにこやかに笑ってくれた。

これからも、知覚の旅はつづく

音声ガイド作りは、20分間の作業だった。完成まで仕上げるのは難しいので、途中まででもOK、 一発勝負の失敗前提で発表を促すと、2名の人がその場で最後まで読んでくれた。
1人目は「1月22日日曜日、肌寒い晴れの日の午後…」と、その日の情報や画面に映ることを実況中継のように伝えていく音声ガイドを作成した。
2人目は、二人の関係性の表現を伝えるように、絵本を読むような優しい語り口で読む音声ガイドを作成した。
そちらの音声ガイドについても、Hさんが感想を述べた。もちろんここでも「これは私の考え方なんですけど…」と付け加えながら、Hさんの感想を聞くことができ、まだ制作途中の人にとってもとても参考になる時間だった。

1人目の音声ガイドの発表

最後に、人形使いの長井さんが事前に今回と同じ所要時間20分でつくった音声ガイドをみんなで聞いた。聞いた後には、作成に関する感想を長井さんから聞いた。

長井さん(人形使い):たくさん言いたいことは浮かぶし、ただ(会話をしながら)話して伝えるなら「赤い服の女性がめっちゃ綺麗だったよね!」などいろいろ話せるけど、作品を流しながらだと全ては言えないし、どうしても自分の主観が入ってくる。もちろん作るのは自分なので主観は入るんだけど、そのバランスがすごく難しいなと思いました。

実際にパフォーマンスをした長井さんの音声ガイドは、優しい語り口と物語のような言葉運びが印象的で美しく、聞いていて居心地が良いものだった。
演じた本人による言語化ということで、一種の「正解」を聴くようなことになるかと思われたものの、この音声ガイドにも「時制を統一したほうがいい」といったHさんからのアドバイスをいただき、パフォーマーも参加者も、同じ土俵で対等に言葉を探る時間であったことが実感できた。

3人の音声ガイドを聞くだけでも、実況のようなもの、絵本のようなもの、世界観が伝わりやすいもの…多種多様だった。いろいろなものがあっていい。人形の視点、人間の視点、視点が違ってもいい。その際に「なにを大事にし、伝えたいか」というのは、私たちが作品を鑑賞するときに自由に感じたことから生まれるはずだ。そして、見ていない人や見えない人にどんなふうに楽しんでもらいたいかを想像することで、説明する情報、その情報の量、使いたい言葉を選択することができると思う。音声ガイドをつくることは簡単なことではなく、ワークショップとしても時間が足りないと感じるほどの大仕事だが、今回のように見ていない人や見えない人と話すことで新しいコミュニケーションが生まれ、見ていたのに“見えていなかったモノ”が見えただろう。
ワークショップの時間内では2名の参加者だけに発表してもらったが、「ぜひ、つくったものを送って聞かせてください!」とファシリテーターがアナウンスし、3時間に及ぶワークショップ「知覚の旅人」は幕を下ろした。

「ほんとは、みたいなって思ったことはあるけれど…」

人形に触れるHさん

ワークショップ終了後、長井さんからのご好意で特別にHさんが人形に触れた。 Hさんはここではじめて「あ、これは想像していたより赤ちゃんっぽいですね!この関節と関節の間のぷにっと感が!」と、とても納得していた。
そして、最後にHさんとお話した中で印象的だった言葉を、ここに残したい。

Hさん:本当は(舞台とかを)みたいなって思ったこともある。でも、視覚でしかわからないことで、みんなが笑ったりすると「どうして今笑ったの!!?」と、わからなくて損した気持ちになる。だから、本当にこういう企画をしていただけると嬉しい。

最近では、障害の有無に関わらず芸術を楽しめるような試みが各地で行われている。例えば、目の見えない方と一緒に美術館へ行って絵画をみるもの。それらは視覚障害を持つ方だけでなく、視覚障害を持つ方と一緒にみることを楽しむ方のための取り組みでもある。
今回のワークショップで取り上げた人形と人間のパフォーマンスのような「言葉のない作品」は、みた人がそれをみて感じた思いを言語化するのが難しいこともある。…楽しい、嬉しい、怖い、苦しい、寂しい…みて感じることの質感も、様々だ。ただ、そういった作品をみることでしか感じられないこともあると思う。そんな特別な体験を、障害の有無に関わらず共有できる取り組みが、特別なものではなくなればいいなと思った。
Hさんが言ってくれた「こういう企画をしていただけると嬉しい」という言葉は、まだまだその第一歩。もっともっとHさんにみてほしい作品、一緒にみたい作品がある!Hさんだけでなく、様々な方とより気軽に作品を楽しめればいいなと思った。

ーー『あなたにはじめて触れたときの、少し怖いような、嬉しいような気持ち。たとえあなたのことを忘れてもこの気持ちだけはきっと忘れない。』
これは、記録の書き手が今回の作品につけた音声ガイドの言葉のひとつである。「もっと具体的な説明を!」と、言われてしまいそうだけれど、「どうしてその言葉をつけたんですか?」と、質問されたくてわくわくしている私もいる。

音声ガイドを通して、より多くの知覚で旅をし、関わり合いたい。