公演レポート「愉快な混沌、書き切れない混沌。」

〈人形劇〉ル・フリーックス・クラブ「シャ・ドワゾーのふしぎなお庭」レポート

蝶が舞う。蛇のような手が這う。蜘蛛のような手が上下する。葉が揺れる。卵。卵から孵る。手。生まれて踊 ってみて、手。蛇のような手と蝶は追いかけっこ。食うか食われるか。…食う。生まれた手。きのこと手。…ト音記号!ト音記号を追いかけて手。いつまでも追い掛ける。…月!転がるお月様。どこまでも転がる。…星!流れ星!流れていく流れていく流れていく。と…宇宙飛行士。あぁ、ここはいつの間にか宇宙だったのね。宇宙にもト音記号。地上にもト音記号。おぉ…。あ、朝が来たのか、地上。軽快な音と跳ねるきのこ。生まれた手とト音記号の追いかけっこは続いている。…ん?ト音記号、その正体、も、生まれた手。手と手。多分雄と雌(いや雄と雄でも雌と雌でもいいんだけども)。芽生える。どうやら、愛。そこにあって。思い通い合って、重なり合って、愛。2 匹みたいに、両の手。ト音記号と「シャ・ドワゾー」。やがて愛、両の手からまた生まれる。卵。それだけが残される。いつか孵ることでしょう。きっと繰り返すのでしょう。溶暗。


改めて記録映像を見返して、展開をなぞってみました。自分としては忠実に流れをなぞったつもりなんですが、何でしょう、「自分は何を書いているんだ?」という…。だけどテキストにすると本当にこんな感じなんです信じて下さい、という…。有体ですが夢を見ていたような感覚、浮遊感。目を開けたままなのに、おかしなことがあっても違和感なく受け入れてしまう、夢の中特有の思考停止感の中に居ました。あるいは自然現象を見ていた感覚にも似ていたかも知れません。物語を追いかけたり細部の表現も見落とすまいと、理屈の物差しと眼差しでパフ ォーマンスと対峙してしまいがちな私たち。だけれどもいつか、そんなことはどうでもよくなって、ただただ目の前で起こることを見る。共に呼吸をする。鑑賞でなく共存のように感じられる時間空間を過ごしていました。


全編を通して「手が全ての役割を演じている」点に演劇性を強く感じました。アイテムとか端的に何者かを示す工夫はあっても、人形を被るとかペイントを施すのでは無く、「手」はあくまで「手」としてその場に在る。1アクターとして様々な役を演じ分けていました。出演は右手と左手。一人〇役ならぬ二本〇役。フレデリックさんはしかもスタッフワークまでリアルタイムでこなしている。自作自演の極致です。ひとり遊びが好きだった少年がどこまでも突き詰めた世界が「シャ・ドワゾー」なのだろうか。周囲の人々や初めて出会う観客をとにかく楽しませたくて、あれだけのものをこしらえられるのか。フレデリックさんの陽気さや遊び心に溢れた作品性と、一方で作品世界をほぼ全てひとりで担うというストイックさや孤独さ。何というギャップでしょう。その振れ幅はとてもとてもポジティヴな狂気です。


自身の身体全てを意識の支配下に置きたいと、アフタートークされているダンサーの方がいたのを覚えています。いつかのラクーン 8 階、いつかのスケラボです。自分の身体が自分の思うようにならない経験はいくらもあります。スポーツやダンスで、あるいは日常でも、思うように伸びない手やままならない体の重さを持て余します。自分が何を考えようと、体のあちこちでは細胞が分裂している。爪や毛が生えて汗など分泌されて傷はかさぶたになる。自分のものなのに、永遠に自分の思う通りになることはないだろう身体。そこに無邪気な宣戦布告がなされたような気がして、とても印象的でした。フレデリックさんのパフォーマンスはまさに、両の手を意識の支配下に置くことから始まるパフォーマンスでした。ひとりの身体でなくて、2 本の演者による舞台でした。右手も左手も場面毎に異なる役を演じており、まるで自立していました。支配下に置くどころか右手も左手も支配やこの世の理から離れて、自由に楽しく生きているように見えました。観ている内に、指の細かな動きにもコミカルさだけでなく感情を感じられるようになったのも不思議な体験でした。

子どもでも楽しめる人形劇の体をとりながら、パフォーミングアーツの強かさを確かに感じられる。パペットではなく、2 本の腕が活躍する人形劇。腕だから、掌だから、指だから、表現出来る自由さがある。終演後には自身の身体の見え方もきっと変わるような演劇体験でした。

加藤剛史(スケラボ/おてんば劇場)


公演に先立ち、フレデリックさんによるワークショップも開催されました。

以下は、参加した高校生や若年世代の感想です。


言語はほぼ必らず、身体だけで異文化交流ができる!びっくりでした。子どもにとって良い経験だと思いましたので、機会があれば我が子も連れていきたいです。(30 代男性、豊橋市)


新鮮で楽しかったです。僕は保育士をしているのですが、簡単に身体を動かせるワークショップが多かったので、今度職場で活かせたらなぁと思いました!(20 代男性、伊豆の国市)


「外国の方」と身構えていたところもあったのですが、とても雰囲気が良く、そんなことすっかり忘れて楽しむことができました。日本人にも分かる英語を喋ってくれたのが良かった。面白かったです。(20 代男性、富士市)

大変楽しむことができました。言葉なく、相手の意図を汲む動作。職場(小学校)でも使えそうなものだったので、今度試してみようと思います。(30 代男性、富士宮市)


ゆったりな感じのワークショップを勝手に想像していましたが、陽気なギターの音色に合わせて体を動かしまくるパワフルな内容で、すごく楽しかったです。小さな子どもたちと触れ合うのも、僕の今の生活では機会がないのでとても新鮮でした。(30 代男性、品川区)


ワークショップを体験してからだと、指人形の表現の面白さがより分かって面白かったです。言語も年齢も関係なく皆が楽しめるワークショップでした。新聞紙を手につけて生き物を表現する。ありそうでなかった遊び。表現はどこからでも生まれるんだなと改めて実感しました。身近なもの一つ一つにもっと興味を持ったら、きっと楽しくなりますね。(10 代女性、兵庫県)


ワークショップに参加できて、何と言うかもう僥倖(笑)でした。言語や年齢に囚われずに楽しめるものということは、肌で感じましたし、そのような環境を整えることや実現することは難しいことなのだろうと考えつつ、実現している現場にいるのがとても素敵なことだと感じられました。一つ一つの表現方法が演劇部の中にいたら学べなかったかもしれないことで、外に出て何かを吸収することの大事さを再び思い知りました。(高校演劇部 3 年生)


身体表現は腕、足、体といった身体全体での表現という先入観があり、指、手のひらといったミクロな部分での表現はとても新鮮でした。そして音楽。場面を支配する音楽の力を思い知りました。即興指人形劇でのストーリ ー展開や、ミラーでホストをする人の流れ等。ギターの音楽に合わせている部分が多くて、インパクトも大きか ったです。(高校演劇部 2 年生)


表現の勉強もしつつ、世代問わず交流することができて本当に楽しかったし、貴重な機会をいただけてありがたかったです。 (30 代女性、富士市)


世代を問わずに交流、国際的な交流をもすることができました。世界は広い!自分の身体で表現すること、出来ることの楽しさや嬉しさ、幅が広がるというやりがい、色々なものを学び、再認識することが出来た 1 日でした。貴重な経験をさせていただき、とてもありがたかったです。(30 代男性、富士市)