vol.00 旅の前に:スケラボの音声ガイドプロジェクト「知覚の旅人」について

text / 住麻紀

はじめに

スケラボでは、ノンバーバル(言葉を必要としない)パフォーマンス作品に、音声ガイドをつける試みを2020年から始めました。
この音声ガイドは、パフォーマンスを見ることが出来ない人にむけて、パフォーマンスの内容を言葉で説明する「言葉で観るパフォーマンス」であると同時に、見ることができる人に向けても、パフォーマンス鑑賞の手助けや、言葉なしで見るのとは違った楽しみ方になるような「ガイド」を目指しています。
脚本やセリフなどの言葉がない作品を、どんな言葉で説明するかは、当然人によって違います。パフォーマーや演出家の意図はあれど、それが伝わるかどうかはパフォーマンスの力と鑑賞者の受け取る力次第です。伝わることが必ずしも最適解とも限らないでしょう。
だからこそ、我々はこの試みが、スケラボが精力的に取り組んでいる、現代サーカスやコンテンポラリーダンスを、より多くの人に楽しんでもらうために大切なのではないかと考えています。
この記事は、2023年1月に行った「知覚の旅人ワークショップ からだの動きを伝えるためのことばづくり」が、どのようにして生まれたのかを、主に企画を担ったスケラボ住が書き記すものです。

2020年夏の不思議なできごと

新型コロナウィルスによって世界中から生のパフォーマンスが消えた2020年春の後の夏、「スケラボ」と「ながめくらしつ」は現代サーカスの新作「昨日の手触り」を発表しました。沼津ラクーン8階を会場にした2日間(2回)の少人数の有観客の公演と、事前に撮影した映像作品の二本立てて、会場に来られない人には映像で見てもらおうという試みでした。ところが、公演当日、スタッフがコロナ患者の濃厚接触者となったことがわかり、現場の判断で有観客公演は中止になりました。
幸い映像作品は前日までに撮影が終わっており、2日間、公演開始時刻と同時に配信することを予め告知し、配信チケットも販売していましたので、予定通り超特急で編集した映像を配信しました。事前に配信チケットを購入いただいていた人たちに加え、現地で鑑賞予定だった方々も配信をご覧いただくことが出来ました。
私はこの時、配信チケット購入者に配信URLを手動で送る役目だったのですが、配信の夜、不思議なことが起きました。
配信チケットが、ものすごい勢いで売れていくのです。1日目の購入者が64人、2日目の購入者90人に達しました。うち6割近くが配信当日の駆け込み購入でした。ながめくらしつは素晴らしいカンパニーで熱心なファンも多いのですが、現代サーカスはパフォーミングアーツの中でもマイナーな分野で、スケラボもまだまだ知られているとは言えない団体です。そもそもファンは発売当初にチケットゲット済み!でしたし。次から次へ来る注文を捌きながら、明らかに「拡散している」のを感じていました。一体何が起きているのだろう? とTwitterで「ながめくらしつ」と検索したら、理由がわかりました。
生の公演に行けなかった人が配信のことをつぶやき、それを知って配信を見た人が感想をつぶやき、その連鎖で、この配信が「今、見るべき映像作品」として広まったのです。視聴者のアンケートからは、初めてながめくらしつを知った人、現代サーカスを初めて見た人も散見されました。もちろん、当日中止という不運に、応援の意味でチケットを購入してくださった方も多いと思われるのですが、予告映像があるにしても、どんな内容なのかほとんど分からない状態で、多くの人を「今夜、有料の現代サーカス作品の映像を見よう」という気持ちにさせた要因はなんだったのでしょうか。

「昨日の手触り」は、5人のパフォーマーが、ピアノの演奏の中、それぞれコンテンポラリーダンスや、エアリアル、ジャグリングなどを披露しながら次の人につないでひとつの物語を作る作品です。作品中にセリフなどの言葉は一切ありません。この説明だけで見たくなる方はあまりいないと思うのですが、作品の配信を見た「ながめくらしつ」ファンを中心としたみなさんから紡がれた「言葉」が、「この作品を見たい」という原動力になったのは間違いありません。SNSで発信された言葉の多くは、「すごくよかった」「絶対に見た方がいい」と言った、(ネタバレを避けた)断片的な感想がほとんどなのですが、作品の内容に触れていない文章ながら、どれも、配信を見て充実した時間を過ごせたことが伝わってくるものでした。この、満ち足りた素直な言葉たちが渦となり、人を動かす力となったのです。
この時直感的に、現代サーカス作品は「鑑賞者の言葉」に注目することでもっと魅力を広められるのではないかと思いました。そもそもまだ日本には、現代サーカスの研究や批評の場が発展途上のようなのですが、一方でファンの方々が、SNSや鑑賞記録のブログで紡ぐ言葉には、独特の魅力があります。音楽でも美術でも演劇でも、芸術鑑賞についての文章は、とかく、「見たこと」の描写に至る前の、ストーリー説明、作者のプロフィールや過去作への言及、技法の説明などの、見ただけでは分からない、作品理解のためのバックグラウンドが付け足されがちです。しかし、現代サーカスや大道芸の鑑賞記は、とにかく「こうなった」「こんな感じだった」「この動きが良かった」という、スケッチのような、散文のような、シャッターを切るような、「見たこと」を切り取った描写が多いことに気づきました。「見たことをそのまま言葉にする」、この時私は、かつて学んだ、美術作品の解説の書き方を思い出していました。

※「昨日の手触り」は現在も有料配信でご覧いただけます。https://vimeo.com/ondemand/mbisyesterday

美術のディスクリプションと現代サーカス

筆者は、美術を専門とする元学芸員です。学芸員や研究者が作品調査をする際、見たものを詳細に言葉で記録します。写真を撮ったり図を書いたりすることも同時に行いますが、同ジャンルの研究者であれば、文字での記録を読むだけで、どんな作品か頭の中で組み立てることが可能です。この、作品をよく見て言語化する行為を「ディスクリプション」と言います。
ここで気をつけるのは、「よく見る」「見えたものを記録する」ことで、感想や印象はできるだけ排除します。美術を学ぶ大学生が基礎的な訓練としても行うものですが、やってみると、自分がいかに見ているようで見ていないかがわかります。複数人で同じ作品を見て、お互いのディスクリプションを重ね合わせることで、新たな気づきが生まれ、作品理解がより進みます。
前段に記述した、現代サーカス・大道芸ファンの皆さんが紡ぐ言葉が、この「ディスクリプション」のようだな、と思いました。そして、美術のこの手法は、言葉のないパフォーミングアーツの理解にも役立つのではないか、という仮説が自分の中に生まれました。

話が少し逸れますが、筆者の専門分野は日本刀です。日本刀は、美術工芸の諸ジャンルの中でも、ディスクリプションを非常に重要視します。なぜなら、作品の美的な特徴を言葉以外で記すことが非常に困難だからです。立体物である時点で撮影に限界があるのですが、刀剣は研磨された表面に現れる微細な模様を美的評価の対象としています。よって、光源との関係や、反射、金属光沢、そういったものが、ただ、「見る」ことを困難にします。そのため、刀剣はただ「見る」ことができるようになるまでに訓練を要します。そして、写真や図で示す代わりに、言葉だけで特徴を正しく伝えるための専門用語が発達しています。そのことで参入障壁が無駄に高いのですが、具体的な言語化が難しいが、言語化しないと他者と良さを語り合えないという点が、言葉のない、抽象的なテーマを表現した現代サーカスやコンテンポラリーダンスに共通するところがあるな、とも感じています。日本刀の鑑賞手法に当てはめれば、特定の言葉と特定の動作(特徴)を結びつけることで、画像などがなくても正確に作品の視覚的情報を伝えることができるのではないかという考えに至りました。

音声ガイドを作る最初の試み

2020年8月に有観客公演ができなかった「昨日の手触り」は、2ヶ月後の10月に初演の再演が叶い、12月には「…の手触り」シリーズ2作目の有観客公演と映像作品の撮影も行うことが出来ました。この、2作目となった「こころの手触り」という作品に、音声ガイドをつける試みを行いました。ダンサー(安岡あこ)と人形(人形遣い:長井望美)が心を通わせ合う美しい作品です。ちょうどこの時、パフォーミングアーツの制作会社precogが、字幕、音声ガイド、手話ガイドなどのアクセシビリティを考慮した作品を集めた配信プラットフォーム「THEATRE for ALL」の立ち上げにあたり、取組への助成を公募していて、(コロナ禍以前より格段にコストが掛かる「…手触り」シリーズの資金獲得に悩んでいたこともあり)言葉のない作品に言葉をつけることにチャレンジしたいと制作陣にアピールしたところ、演出の目黒陽介さんからも了解をいただき、プロジェクトが始まりました。
この時、やってみたいことのイメージとして2017~19年にKAAT神奈川芸術劇場の主催で、捩子ぴじんのソロダンスとともに実施された「音で観るダンス」(https://otodemiru.net)を例に挙げました。視覚に障害のある人にもない人にも、現代サーカスの新しい見方を示すことができるような、ひとつの作品になるような音声ガイドを作るという方向性を共通認識とし、音声ガイドの作家に演劇家の藤原佳奈さん、朗読に俳優の青柳いづみさんを迎え、2021年2月よりTHEATRE for ALLで有料配信しています。
https://theatreforall.net/movie/nagamekurasitsu/


以下は作品に寄せたメッセージです。

「目黒陽介が作り出す作品は、繊細な身体の動きと、詩的な世界観で、元々言語を必要としないノンバーバルなものです。この作品に音声ガイドを加えるとしたら、見えているものをそのまま解説するのではなく、一度誰かの心の中を通した言葉を紡ぎたいと思いました。演劇家の藤原佳奈による解釈を通して、身体表現、美術、音楽が融合したこの作品に、テキストというアートワークのレイヤーを載せる試みです。」

引用元

このように、音声ガイドの作者が誰であるかを明確にしました。言葉のない作品に言葉をつけるために、絶対に必要なことだと思ったからです。
音声ガイドのパイロット版を、沼津の静岡県立視覚特別支援学校高等部の皆さんや先生方に聞いてもらった時には、「わかりにくい」「音声ガイドは客観的な方がいい」など、聴いた皆さんを困惑させてしまったのですが、「芸術作品なのだから、わかりやすくしなくてもいいんじゃないでしょうか」とも言っていただき、こちらの意図が伝わって安堵したものの、どういうスタンスの作品、ガイドなのかを聴く前に明確に伝え、心の準備をしてもらう必要性を感じました。

「言葉で観る」鑑賞はパフォーマンスにも有効か?

リモートワーク、テレワークが当たり前になるにつれ、ラジオやPodcastなどの音声コンテンツが激増しました。特にPodcastは、放送局のも芸能人のも専門家のも素人のも、みんな同じように聴けるので楽しいですね! 筆者もコロナ禍のずっと前から仕事中ラジオやPodcastを聴く先進的な(?)生活をしていましたが、世の中が音声コンテンツの価値や意義について注目していることを感じていました。自分自身も、その時の聴く姿勢や気分によって、情報量の多さや話題の深さに満足することもあれば、喋り手の声や話の展開の楽しさに耳を愉しませるのが心地よい時もあるなど、多様でいいし、きっとそれはアクセシビティのための音声ガイドにも同じことが言えるのではないかと思うようになりました。つまり、いろいろなことを音声ガイドで試してみたい、いろいろな音声ガイドを作ってみたいと思うようになったのです。
「昨日の手触り」を初めて配信した夜に鑑賞者が紡いだ言葉のように、言葉のない芸術作品の音声ガイド自体が、耳を愉しませるエンタメや、芸術的価値を持つ可能性もあるのではないか、きっとそこまでいける、と考えるようになりました。

筆者はTBSラジオ「アフター6ジャンクション」のヘビーリスナーで、同番組で繰り返し、芸術作品のアクセシビリティについて特集していたことも多分に影響しています。映画、演劇、美術、ゲームなど、様々なジャンルのアクセシビリティの取り組みや、視覚や聴覚に障害のある方が、現状それらのコンテンツをどのように楽しんでいるかが、当事者の声で語られているので、興味がある方はぜひ聴いてみてください。前述の「音で観るダンス」もこの番組で知りました。Spotifyで過去のアーカイブを全て聞くことができます! アクセシビリティ回だけをまとめたプレイリストを筆者が作りました。

この中で特集されている「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」の、「言葉で美術作品を観る」という楽しみ方が、パフォーマンスの鑑賞にも応用できないかと考え、2022年8月の公演でテストしてみることにしました。テストを行なったのは、静岡県長泉町のベルナール・ビュフェ美術館で開催した「彷徨う絵画たち」というパフォーマンスです。フランスの画家、ベルナール・ビュフェの絵画に登場する人物に扮したパフォーマーと、学芸員さんが展覧会を案内する、ギャラリートーク形式の作品です。この公演に際し、鑑賞モニターを数組募集しました。
モニターには「公演中のおしゃべりを録音させてください。いつもより目の前で起きていることを言葉にすることを意識してください」とお願いして録音機を渡しました。家族連れ、アート関係者グループ、独り言多めの自覚あり一人客などにお願いしました。採取できた録音を聴いて気づいたのは、「初めて観るパフォーマンス作品にリアルタイムで言及することはとても難しい」ということです。絵画や彫刻は原則として自ら動きませんが、パフォーマンスは動きます。目の前で起こったことを解釈している間に次の場面に移ってしまうので、リアルタイムで行うにはスポーツの実況中継のような特別な技能が必要に感じました。

モニターのおひとりに視覚障害当事者の方がいらっしゃってくださいました。モニター募集にあたり、静岡県視覚障害者情報支援センターに広報と実施のためのアドバイスをいただきました。その際センター長の土居さんに「視覚障害者にパフォーマンスの話をするのは、専門知識のある方や、何が起こるか分かっている人がよい」というアドバイスを受けました。その時は、公演には学芸員さんもいるし、内容を知っている人が相手だと予定調和になるんじゃないかな、と思いつつ、当日の話し相手は筆者が担当しました。結果、専門知識があることよりも、「展開を知っている」ことが重要でした。筆者はリハーサルにも参加しているので、今目の前で起こったことがどんなことなのか、考える暇なく言葉にすることができました。質問にもあまりタイムラグなく答え、学芸員さんの作品解説に、視覚情報を付け足すことも、十分ではないものの、多少は意識して行うことができました。
今自分は、見たものを言葉にする変換器の役割を担っていると自覚することが必要で、その役割の人に加えて、初見の鑑賞者の素直な驚きやぼやきなども拾っていけたら、また面白いものができるかもなと感じました。そして、この日モニター参加してくださった視覚障害当事者のHさんとの出会いが、このプロジェクトをぐんと前に進めることになりました。

この試みを、支援をいただいたアーツカウンシルしずおか チーフプログラム・ディレクターの櫛野展正さんがレポートしてくださっています。https://artscouncil-shizuoka.jp/column/43/

「言葉にしやすいパフォーマンス」とは?

8月の公演を経て、音声ガイドづくりの具体的な取り組みが始まりました。言葉でパフォーマンスを見るには、技術や訓練もさることながら、「今、それをやらなければいけないという自覚」が何より大切だと感じました。そのために企画したのが、2023年1月に開催した「『知覚の旅人』ワークショップ からだの動きを伝えるためのことばづくり」です。言葉のないパフォーマンスを言葉にしてみる、それを複数の人で共有して、伝わる言葉、見えていると気づかない言葉にしなければいけない視覚情報、同じものを見ても違う言葉が紡がれることに気づき、受容し、自分なりの音声ガイドを作る試みです。
ワークショップの企画にあたり、当初筆者はパフォーマンスは、1分程度のごく短いものを想定し、プロフェッショナルが行えば、作品テーマは不要と考えていました。動きを言葉でスケッチすることはほとんどの人が初めてのはずなので、情報量が多いと限られた時間で処理しきれないだろうし、動きの描写と感想や理解を分けて言語化することが難しくなるだろうと考えたからです。
しかし、パフォーマンスを担当した人形遣いの長井望美さんから、1分では作品表現が充分にできないという意見がありました。人形はゆっくりとした繊細な動きで表現するので、短いとただ動かすだけになってしまうだろうということでした。
筆者が、2グループに分かれて、①片方がパフォーマンスを見て、片方が見ない。見たグループが見ていないグループに言葉で内容を伝える。②これを交代して行う。③最後に全員で同じパフォーマンスを見て音声ガイド原稿を作る、というワークショップの流れを伝えたところ、長井さんとダンサーの及川紗都さんは「どんなパフォーマンスが言葉にしやすいか」「どのような流れで見たら、作品理解が進むか」について検討と稽古を行い、①人形のパフォーマンス ②人間のパフォーマンス ③人形と人間のパフォーマンス という組み立てが出来上がりました。クリエイションにはながめくらしつの目黒陽介さんから「パフォーマーは明確なテーマを持って動かないと、言語化はしづらいだろう」と言ったアドバイスをいただき、それぞれ約5分の3つの「作品」となっていきました。

正解がないことを受容する場づくり

作品がだいたい出来上がった2023年1月中旬、ワークショップのリハーサルをオンラインで行いました。ここには、「こころの手触り」音声ガイドを書いてくださった藤原佳奈さんにも参加いただきました。実施にあたりファシリテーターとなる筆者が迷っていたのが、パフォーマーと参加者が直接言葉を交わすかどうかでしたが、それに関しては正解探しになってしまうので、一切やめた方がいいだろうとなりました。このことは当日の会場レイアウトにも反映し、パフォーマンスを見た後の議論の時間は、パフォーマンスエリアに背を向け、参加者からパフォーマーが見えない配置にしました。これにより、演じた本人にあまり遠慮しない議論の場ができたようにも思います。そして、このような余裕を持った空間構成ができる沼津ラクーンのありがたさも改めて感じました。沼津駅前という立地も、眺望もサイコー!

また、パフォーマンスを見た人が見ていない人に言葉で内容を伝える場面では、ファシリテーターから見た人に質問をして、それに答える形で進めましたが、藤原さんから「この動きにはどんな意味があると感じましたか?」「パフォーマーは何を表現しようとしていましたか?」といった、決まった答えがあるかのような質問の仕方をしないようにする、というアドバイスをいただきました。異なる意見を肯定しながら、自分の言葉を紡いでいく場作りのために、参加者それぞれが、いろいろな要素から自分が注目したところ、いいと思ったところを意識して言語化するような進行の言葉選びをすることも指摘いただきました。
実際のワークショップで「人形が赤ちゃんかどうか」が議論されたのですが、この時、同じ意見の人を探すのではなく、「なぜそう見えたのか」1人ずつ見たものから理由を探し、視覚情報と個人の解釈を分けて考えるように意識できるようなファシリテーションが重要に感じました。

このワークショップ、スケラボ初めましての参加者が多く、また、こちらの予想以上に申し込みの反応がよく、都内からの参加もありました。
8月にモニター参加してくださった視覚障害当事者のHさんは、静岡県外にお引っ越しされていたにも関わらず、今回もモニターとして来てくださいました。そして、晴眼者だけでは気づき得ない意見をたくさんくださいました。視覚障害当事者にもっとたくさん、気軽に参加いただくことは今後の大きな課題ですが、このようなワークショップでは、少数でもこの試みや芸術への理解や興味がある方に来ていただくことも同じくらい重要に感じました。

ワークショップ当日の詳細なレポートはこちらからご覧ください▶︎

思えば、スケラボでは当初から公演後のアフタートークを実施し、「対話と演出」をコンセプトに掲げてきました。言葉で観ることにずっと注目してきたとも言えます。このプロジェクトは、今後もワークショップや音声ガイドつき作品の配信、スケラボならではのアクセシビリティに配慮した公演の実施などで展開していく予定です。