連続体としての「昨日の手触り」(「…の手触り」〜昨日の手触り〜劇評)

2020年8月に現代サーカス集団〈ながめくらしつ〉とスケラボのコラボレーションした映像作品【「…の手触り」〜昨日の手触り〜】を配信しています。
本作品の劇評をいただきましたので掲載いたします。


連続体としての「昨日の手触り」

公演「ながめくらしつ×スケラボ『…の手触り』〜昨日の手触り〜」の美しさというものは果たしてどこから来るのか。小林秀雄の「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」という箴言を援用するならば、パフォーマーの見目よさや玲瓏たる舞台を語るのはもはや無意味であり、ただそこには美しいパフォーマーが存在し、美しい舞台がある。それ以上のことを語ることは野暮にもおもえる。「解答はない。そもそも問題がないのだから」と衝いたのはかのマルセル・デュシャンであるが、それは一重に語ることの呪縛から解放されることなのかもしれない。だがそれでもなお、語らずにはいられないとおもわせるこの舞台とはいったい何だろう。

一言でいえば筆者はこの詩的ともいうべき舞台の美を、連続性に見いだしたい。それは単にこのパフォーマーたちの身体の滑らかな連続性を美と評したいのではない。ここで記しておかねばならない連続性とは、物理学でいうところの「連続体(Continuum)」に近似する。つまり注目すべきは、物体、この場合には身体そのものが空間的広がりを持ち、それ自体が環境因子によって様々に変化・変形・変容する、その関係性をいう。環境因子とは、舞台空間に配置された椅子や机であり、自在に動くジャグリングやあやとりのように張り巡らされた紐であって、パフォーマー同士の呼応しあう存在であり、ガラス窓の向こうに限りなく広がる世界でもある。また鍵盤の音色も舞台全体を貫く大きな環境因子となっている。パフォーマーが商店街に歩を進め、地下道を行き、本舞台となるビルの8階・元百貨店の食堂街にまで移動するその変わりゆく風景すらも連続体そのものである。更にいえば、現場で、あるいは画面越しに鑑賞する観客ですら物語という詩を紡ぐ環境因子の一要素なのである。結果、環境因子によってパフォーマーの身体はやわらかくうねり、場合によっては予測不能な乱数的振る舞いを見せ、空間の細部にあって美を表出させる。

では先に挙げた「身体そのものが空間的広がりを持つ」とはどういうことか。仄聞によれば武道の達人は、数百と繰り返される突き蹴りの鍛錬のなかで、けっして届かない天井の隅に自らの手足が触れているという感覚を度々味わうという。この身体の延長を想起させる連続体が「昨日の手触り」の随所に観察されるといったら大袈裟になるだろうか。加えて記すなら、始点Aから終点Bにまで振り下ろされた腕は、一般には振り下ろされた途中においては無意識となり、振り下ろしたという事実によって終点Bのみが自覚される。一方、件のパフォーマーはこの二点間を無数の点を刻んで腕を移動させる。注目すべきはこの微分ともいうべき点の密度にある。これこそが一挙手一投足の所作に美を生み出す源となる。

更にいえば、舞台全体に漂う緊張感だ。今にも音を立てて崩れ落ちてしまいそうなアンバランスな机。腕や首に絡みついて息すら止めてしまわないかとひやひやさせる紐。カラダごと窓外に放り出されてしまわないかとハラハラさせるフラジャイルなガラス窓。全身を預けてなお不安定な小球。蜘蛛の糸のように張り巡らされた布の上を今にも落下しそうになりながら転がっていく身体。そこに加えてパフォーマーの表情を殺した面と無言という表現。美はまさにこの緊張感の刹那にこそ起立する。

ところで、なぜこの演目は「今日の手触り」や「明日の手触り」ではなく、「昨日の手触り」なのか。いまこの時代にあって、昨日をいうことにどれほどの意味があるのだろう。演出家がただ感傷的になっているともおもえない。そこで、昨日という文字に改めて注目してみる。「昨」は「をち」と読み「遠」の意味を有してここではない離れたところをいう。遠近を意味する「をちこち」からも想像されよう。それは時間的概念でもあるが、同時に空間的概念でもある。つまり、今ここにおいて沼津にあるビルの8階で演じながらも、窓外に限りなく広がる世界を単に借景にとどめず、その異世界に身体を延長させながら未知なるモノに触れることによって得られる手触り、その連続体を強く意識して舞台がつくられているのではないか。言い換えるなら、身体を身体の中に押し込めない。身体を身体で拘束しないということだ。
きっと、鑑賞後には、見慣れた街が異世界のように見えたオーディエンスも多いだろう。それでこそ沼津という地でこの演目が演じられたことに、新しい価値が与えられるだろう。

平野雅彦(国立大学法人静岡大学人文社会科学部客員教授)


 

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出演:目黒陽介、長谷川愛実、谷口界、大塚郁実 / イーガル
演出:目黒陽介
音楽:イーガル
演出助手:安岡あこ

音響:泉田雄太
音響協力:佐藤こうじ(Sugar Sound)
舞台監督:守山真利恵
舞台協力:わっしょいゆ〜た
照明操作:阿部ちさと
撮影・編集:磯村拓也(Scale Laboratory)
配信・翻訳:及川紗都(Scale Laboratory)
宣伝美術・Web:住麻紀(Scale Laboratory)
写真:小島一晃
広報:辻村聡子(Scale Laboratory)
制作:奥村優子
協力:Circus Laboratory CouCou
プロデューサー:川上大二郎(Scale Laboratory)

主催:Scale Laboratory 協力:沼津ラクーン
静岡県文化プログラム地域密着プログラム事業

Might be in situ -yesterday- is performed by the contemporary circus group ”Nagamekurasitsu” in collaboration with Scale Laboratory.
The performance took place in Numazu RAKUUN, on 29th and 30th August, which is postponed.
We distributed pre-recorded video instead of real performance.
For this time, we re-edited that video.
There is a skeleton space at 8th floor, which is a former department store dining area, which looks like an abandoned building overlooking the city of Numazu.
The entire 8th floor will be used as a stage to spin the story.
Please experience the story born in Numazu whenever and wherever you are!

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Cast: Yosuke Meguro, Aimi Hasegawa, Kai Taniguchi, Ikumi Otsuka / Ygal
Director: Yosuke Meguro
Music: Ygal
Assistant Director: Ako Yasuoka

Sound: Yuta Senda
Sound Cooperation: Koji Sato (Sugar Sound)
Stage Manager: Marie Moriyama
Stage Cooperation: Wasshoi Yuta
Lighting Operator: Chisato Abe
Camera/Edit: Takuya Isomura (Scale Laboratory)
Distribution/Translation: Sato Oikawa (Scale Laboratory)
Graphic Design/Web: Maki Sumi (Scale Laboratory)
Promotion: Satoko Tsujimura (Scale Laboratory)
Photo: Kazuaki Kojima
Management: Yuko Okumura
Support: Circus Laboratory CouCou
Producer: Daijiro Kawakami (Scale Laboratory)

Production: Scale Laboratory
Supported by Numazu RAKUUN

Advanced Program for Arts and Culture Shizuoka, Community-based Program